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写真
 写真(という成果)について、というより、撮影(という行い)について、カメラ(という道具)について、であるかもしれません。

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 近況連載を開始して数日。このことはいつか書かなければならないな、と思っていました。本当はもっとのちのちに書くつもりだったのです。でないと話が前後して混乱してしまうから。
 ……ですが、今日たまたまとてもみずみずしい写真を掲載しているサイトに出会いまして(こちら『qp』)。なんとなく、今日書いてしまおうという気になりました。ので、今日書きます。

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 私の持っているデジカメはCASIOの『EXILIM EX-M2』という製品です。200万画素で、光学ズームはありません。MP3プレーヤーにもなるという変り種です(その点についてはまたいずれ別の日に)。
 このデジカメ、光学ズームがないので遠くのものを拡大して撮れません。飛んでいる鳥なんかはまず撮れません。それから(虫眼鏡を使いこなせば可能だけど)接写(マクロ撮影)もできません。70cmより近くにあるものはことごとくぼけます。虫や花を接写しても、ぼけてしまって駄目です。小さいものを大写しできません。
 ……つまり全景しか撮れないってことです。風景写真かスナップ写真しか撮れないカメラです。使い切りカメラみたいなものです。
 ただ、携帯性が高く、操作が簡単で起動も早い。「狙って名画を撮りに行く」カメラではなく、もっと気楽な「備える・乱用する」カメラです。

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 そんな機能上の適正ゆえに。どうしても風景写真ばかり撮っていて……気づいたことがたくさんあります。……町ではどこを写しても電線が入ってしまう。それを避けるためには高い場所(丘・堤防など)か広い場所(校庭・田畑のど真ん中)へ行く。相手が動かなければ自分が動く。低い位置のものはしゃがんで撮る。建物などは、遠くから見た時と下から見上げた時とで印象が激変する。10分たつと空も光もまるで変わってしまう、撮るならすぐに撮る……。
 光は有限で、ベストな撮影ができる時間は驚くほど限られている。強そうに見えた花が、1cmずれただけで、寂しそうな印象に変わってしまうことがある。生物は寄ると逃げる。猫は眼を合わせてれば逃げない。明確な色、単純な図形を捕らえるとイラストっぽくなる。フレームに多く空を入れると遥かな感じがする。フレームに多く地を入れると陸の伸びが見える。フレーム全体を地にすると息苦しい。フレームに電柱・看板などを入れると生活感が出るけど下世話になる。水面は透明ではないので意外と写せる……。

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 詩や俳句を意識するようになると、世界の見方(視点や姿勢)が変わります。出会いを大切にし、題材の長所を生かそうとするようになります。連日バシャバシャ撮ってみて分かりました、写真も同じです。カメラを向けると「この配置がバランスいいかな」とか「これは画面に入れたくないな」とか「これはこっちへの力場を感じるな」とか、なにか自分の中の読者が指示を出し始めて、世界の見方が変わってくる。自分の中のスイッチが入って、常に「美しいもの探し」をするようになる。

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 詩は……小難しいです。出力(作品)も、関わっている人々も、そこに漂うテンションも。どれだけ経っても、私はそれに慣れることが出来ません。
 写真は楽しいです、本当に。単純明快で、結果がすぐ出て。機材の問題じゃなくて。嗅覚と直観力と行動力が必要で。センスや偶然性は二の次で。……誰が撮っても同じはずなのに、そうはならなくて。写っているものは、希望とか夢想とか仮託とか偏見とかじゃなくて、ただの現実、ただのいち視点で。それは撮影者の体験・記録でもあって。
 好きです。写真って。私にとても合っていると思います。美しい行いだと思います。

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 さて、今日の一枚です。クリックすると大きいサイズ(420px×560px、28KB)で見れます。
 今日撮ったものです。手前の樹は松です。最近撮った写真では、これがいちばん気に入っています。雲の配置にとても満足しています。ありがとう雲。ありがとう空。
 ……この写真から感じる「印象」が好きなんです。視点がホワッと上に向いていて。樹と空の輪郭が融和して。距離感があって。立体感(存在感)があって。主張がなくて。……気に入ってます。
2004-07-16
(c) Mitsuhiko WAKAHARA