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夏の終わり
 きのう8月31日、この写真のような状況にいました。8月の終わりです。夏はまだ少しありますけれど。その量は定かではありません。感じる者の心次第です。

 ま、それそれとして……。

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 そうそう、ついでにちょっと。今回に限らず、近況で私が貼る写真は、その日に撮影したものとは限りません。いま写真のストックが3か月分ぐらい溜まってまして。ストックから写真を選ぶと、季節感や空模様が実時間とズレます。……近況の写真は文章のカット=飾りですから。ご容赦ねがいます、すみません。

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 3倍再生の画像が乱れるので、S-VHSの乾式ビデオヘッドクリーナをひっぱり出しました。このクリーニング用テープは「10秒間録画をする」ことでクリーニングを行います。録音ボタンを押し数秒……テープが最後まで到達したらしく自動的に巻き戻しが始まりました。説明書に「テープが最後まできましたら最初まで巻き戻してご使用ください」とあったため「もう一度クリーニングを実行しとこう」と思い私はリモコンに手を伸ばしました。しかし操作を間違えて「録画」ではなく「再生」してしまいました。
 するとテレビに1996年の映像が映し出されました。映像は10秒ごとに切り替わってゆきます。1996年のサッカーニュース映像、1997年のチャゲ&アスカのライブ、1997年のペルー日本大使館占拠事件、1997年のドラマ再放送映像、1997年の教育テレビのエビの映像、1999年の白髪の画家のインタビュー、2001年のミール落下。
 見ていて切ない気持ちになりました。記録というのは悲しいですね。過ぎ去ったものはどれも悲しい。

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 ある作品を読みました。これを書いた人はこういう事が言いたかったのだろうな、これを書いた人は純粋な善い人だな、ということを思いましたが、作者がその作品で見せたかった情景はイメージされませんでした。
 創作技術とはどこから発生し、どうやって勝ち得るものなのか知りました。美学です。美醜を見分ける感覚がなければ創作は洗練されません。「読者の視点」も身に付きません。
 本質的・理想主義的に己の美学に傾倒した時期がある。その状態が常駐化し常に自分の創作を見張るようになる。自分を自分の美学で縛るようになる。
 ……単に「小説が書きたい」とか「映画が撮りたい」だけでは駄目だということです。いろんな技術は専門のスクールで教われるでしょうが、それを走らせるためにはやはり美学が必要です。
 前述の「作品」の作者はとても善い人でしたが……いや。美学なんかより、創作なんかより、善人であることのほうがいいですね。美学に走るのは、切羽詰った人です。そういう人の方が私は好きですけれど。

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 さて、今日の一枚です。
 安全坊やは日陰や門の脇などに設置されていることが多く、既製品でも手作り品でも、破損率は高めです。この安全坊やも例外ではありません。
 安全坊やの顔の部分が割れて落ちてしまっています。ペイントがされた部分だけは風雨や寒暖での腐食が進まなかったのでしょう、白い部分、顔の部分だけがそっくり抜け落ちています。まるで顔だけ透明になったみたいです。
 それでも、安全坊やはそこに居ます。安全坊は、その身が崩れ落ちて棒一本になるまで使命を捨てません。無言でドライバーに警戒を訴えます。坊やが坊やの形を留めている限り、安全坊やは全身で安全を希求し続けます。平和のモニュメント安全坊やに幸あれ。ベイビー!
2004-09-01
(c) Mitsuhiko WAKAHARA