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詩的についての断章
01
詩は言語で出来ています。言語とは記号の規則のことです。
 
02
記号とは単語のことではありません。表現では、ひとが言語に置きかえて理解するものすべてが記号です。表現を構成する、単語も擬音も音色も線形も主題も場面も、すべてが記号です。
 
03
つまり詩は記号で出来ていると言えます。言語で出来ていると言うよりも。
 
04
詩を作る。ふつうに言語を使うのではなく、言語の原子である記号ひとつひとつを組む。ひとが理解できる最小の単位に神経を払う。そうまでして何を生み出そうというのでしょう。
 
05
ひとが言語に置きかえて理解できないものを、ひとに伝えようとしているのです。
 
06
言語に置きかえられないものを、ひとは理解することができません。しかし感じることはできます。整理して理解することはできなくても、感じて納得することはできます。
 
07
これを詩的と呼びます。記号より小さくわずかな、確かにひとが感じうる何か。
 
08
詩的は詩にだけ作り出せるものではありません。記号の扱いに注意をそそぐすべての表現に、詩的が生み出せる可能性があります。
 
09
詩のような形状をしていれば詩的なのでもありません。言語で説明できてしまう記号的なものしか伝えてこない詩は、詩的に到達していません。
 
09b
しかし私は、詩的でなければ詩でないとは決めたくありません。詩と詩的には関係がありません。詩的を得ることだけにとらわれず、詩はもっと自由に作られていいのです。
 
09c
しかし私は、詩的を偶然にしか生みだせない、詩的な感覚を持たないひとを詩人と呼びたくありません。良い活動家であることや魅力的な人格であることが詩人であるなら、芸術とは村社会のことだと認めるも同じです。
 
09d
私はジャンルとしての詩は好きではありません。かたちとしての詩作品もです。私は詩的が好きで、詩的なものを感じさせてくれる事象すべてが好きです。それは人工の創作物に限りません。人生のいたるところに詩的は存在します。
 
10
詩的を捕らえようとするのであれば、記号がどのような性質を持ち、どのようにひとに伝わるかを予測しなくてはいけません。事実を認め、ひとをおもんばかる精神が必要です。
 
10b
詩人は盲目的になってはいけません。あらゆる可能性を感じる視点の自由さと、そのなかから最善を選ぶ責任感とが両立していなければいけません。
 
10c
詩人になるということは上手な詩が書けるということではありません。詩的がわかるひとになるということです。叙情を解するひと。
 
11
詩的なものに接することで、あるいはそれを送り出そうとすることで、ひとは確実に変わってゆきます。
 
11b
あなたはどんな詩によって詩人に近づくのでしょう。
 
11c
あなたはどんな詩で私を詩人に近づけてくれるでしょう。
 
12
全員が詩人になってしまったとき、詩の役割は終わります。そのとき、人々は歌うように話し、聞くでしょう。
(c) Mitsuhiko WAKAHARA