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短詩・未詩 未整理14
古本に挟まっていた一本の髪の毛を
摘んで
ああこの本も生きていたのだな
と思う
そしてそっと元の場所に戻す
私はこの本の持ち主ではないから
本来の主人の貴重な手がかりなのだから
 
本をきれいに読みますねと言われたことがある
汚せないのではなく
変えられないのだと打ち明けると
もうそれ以上何も言ってこなかった
 
白状しよう
恥ずかしいことだが
私は今でもDeleteキーを押すのが怖い
自分から受話器を置くのが怖い
受話器を取るのはもっと怖い
置き忘れたビニール傘が受けているだろう
ひどい仕打ちを思って心が折れる
新しいノートに筆先を付けるとき
綺麗に使うと誓わなければ一文字目が書けない
 
一度だけ
古本の元の持ち主に会ったことがある
いい本をありがとう
あなたのおかげで読むことができました
大切にしますよと言うと
そんなことは出版社に言えと笑われた
へんな話だけど
寝床で眠りを待っているとき
耳鳴りが消えると
耳が聞こえなくなったんじゃないかって不安になるんだ
 
子供のころ
お風呂から出たら
家に誰もいなくなっていたことがあってね
近所の火事へ行っちゃってただけなんだけど
ついにこの日が来たんだなって
両親も姉妹も消えちゃったんだなって思ったんだよ
リュックに工具と野草図鑑をつめてさ
明日は早起きしなきゃとか考えてさ
もちろんみんなじきに帰ってきたんだけど
その日から家族を信じなくなったんだ
 
なんていうのかな
ときどき自分が
宇宙服を着ている気がするときがあるんだ
おそるおそる水を飲んだらちゃんと飲めたりして
こわくなって冗談を言おうとしてみるんだけど
届きそうになくて静かにしているよ
捨てなかった夢を箱にしまって
まだあきらめていないと言ってたよ 彼は
そうだ 忘れてしまっただけだと
指摘してやろうかと思ったけどやめたよ
 
ねえ君 人は死ぬ前に
その一生を思い出すというよ
それはいいんだ いいじゃないかどうでも
ただそのときに泣けるだけの元気は残っていてほしい
 
この町を少しでもよくしようとして
誰かが並木道に名前をつけたんだ
それが子供であればあるほどよかったんだけど
実際はいつでも違っていたっけな
 
どこを刺されても血が出る身体を
いつも苦しんでいる肺を衣服につつんで
美しいとおもうよ あの夕焼けは
目の前にあってもあのとしか呼べなくて
 
歌を憶えたんだ 一生ぶんよりもっと
でももう歌わないんだ 知っているだけでいいんだ
いつか思い出すための歌なんだ
だから思い出せないほうがいいんだ
未整理でたまっている名刺を
すべてゴミ箱に投げ込んでから
一枚ずつひろって分類していった
ぼくに何があったのかは不明だ
 
なあどうして二十世紀は
中身のわからないものを買っていたんだろう
雑誌を頼りにCDを選んだり
映画を見に行ったりできたんだろう
 
今日ぼくは冷蔵庫の食料を全て外に出して
冷蔵庫内部を丁寧に掃除してみた
台所に野積みされた食料を見て
これから食べるものの色に少し吐き気がした
 
古い本の新しくなった部分に
意味もなくイラついたりしている
鼻歌を忘れたのか鼻歌にできる曲がないのか
ぼくが潤滑油をどうしていたのかは不明だ
月がとてもきれいです
星の微光はかき消えています
自分の影が濃く見えます
迷子になるにはうってつけの夜です
 
野良猫の毛づくろいが
始まって終わるまで
誰かがカメラを構えていました
きのうの人かもしれません
 
迷子になるにはうってつけの夜です
知らない道が出るほうへ歩いていきます
煙草が燃え尽きたら
折り返し地点ということにします
 
横倒しになったオリオン座が
かろうじて確認されました
――何かついてる。うわあご
と言われて僕がさっと触れたそこは下あごだった
――そうじゃなくて、うわあご
と言われて僕がまさぐったのは鼻の下だった
――おしい、うわあご、うわあご
と言われても僕の上下くちびる間には空洞しかなかった
――もう、うわあご、うわあご
と言われて僕は猫が鳴いているだけなのだろうかと思った
お茶に名前を付けることにしたのだ
良い名が良い
トートロジーのようだが良い名が良い
何度でも言う良い名が良い
考えている間に冷めてしまっては元も子もないので
取り敢えず五つに絞りそこから
・誠志郎〈せいしろう〉
・和音〈かずね〉
・ジェニファー〈Jennifer〉
の三つに絞った
知恵も絞った
疲れたがここはまだ休むところではない
さんざん悩んで
卜占に頼りたくなったところをぐっと堪えて
責任を持って
願いをこめて
・誠志郎〈せいしろう〉
に決定した
無難なところに落ち着いてしまった気もするが
やはり最初に浮かんだ名が一番良いのだと納得した
残念ながら誠志郎はもう湯気を失い
若かりし日はどこへ冷めかかってしまっているが
人生これから
よいか聞け誠志郎
お前はこれから俺に飲まれるのだ
我が一族は茶道華道にすこぶる疎いが
町内に誇る縁側を持っておるのだ
お前もお茶冥利に尽きるというものであろう
お前は清い茶だ誠志郎
飲むぞ誠志郎
今日はとことん飲むぞ
いざ行かん
 
こぼした
すまん誠志郎
白い皿の上のサンドイッチに登って
炭酸の抜け切った
しずかな海を眺めている
 
火山のようなオニオンスープが運ばれてきて
一瞬 飛びうつりたいと思う
飛び込めば焼け死んでしまうのに
溺れ死んでしまうからこそ
 
これも仕事だ
仕事だからこそ
サンドイッチに旗を突き刺して
斜面を駆け下りる
はみ出たレタスが風にそよいでいる
皿のはしのパセリはもうない
すぐに崩れていく眺めを
テーブルの端から
振り返らない
点眼に手馴れて更ける卯月かな
 
夜一本 柄無し剣の刃は錆びて
 
助川の湾岸線に陽は昇る
 
切り落ちて封筒の口世辞を吐き
 
爆風に煽られている羊雲
 
伝統に追い越され行く誰哀れ
 
草原の狼 夢の羊飼い
 
ファーブルの眉間の皺に蝶とまる
 
気に入らぬお気に入りから彼開く
 
中空の隠しファイルを引っこ抜く
「あなたの目には
すべてのものが美しくうつるから
それで恋なんてしないんだね」と言われた
 
「それは過大評価です」と僕は笑ったけど
たしかに僕は その言葉の美しさは思えても
あなたのことを特別に思ったりはしないんだろう
 
別れぎわ手を振る
あなたにむかって それとも言葉にむかって
みんなこんなに美しいのに
僕はいつも手を振るばかりだ
(c) Mitsuhiko WAKAHARA