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Re:デイリーシア
彼女はデイリーシアを知らないため、
私もデイリーシアについて何も知らない振りをしている。
有益なのはデイリーシアだとわかっていても、
彼女が知らないことは私も知らないことに、
私が知らないことは彼女も知らないことになっている。
そうなっている。
 
彼女はデイリーシアを知らないため、
私に、デイリーシアって何、と訊ねたりはしない。
それこそデイリーシアを知らない証拠であり、
私がデイリーシアを封印する理由になる。
それは理由になりうる。
 
彼女はデイリーシアを知らないため、
私にデイリーシアを必要とさせない、と言えばそれは嘘になる。
私はデイリーシアを置きこそしなかったが、
結果としてのデイリーシアは意図的に用いた。
彼女は目に見えるデイリーシアを知覚しない。
すなわち、例えるなら空気の重さを理解しない。
デイリーシアがデイリーシアと名乗り出るまで
彼女はデイリーシアをデイリーシアとして認識しない。
認識できない。
 
彼女はデイリーシアを知らないため、
私にはデイリーシアを教える義務がない、かどうかは意見が分かれる。
デイリーシアを知ることはデイリーシアを恥じることであり、
デイリーシアを教えることはデイリーシアを認めることである。
それは失われしもの全てを意味している。※
彼女はおそらくそれに耐えない。
デイリーシアを知ることは未来を知ることである。
 
彼女はデイリーシアを知らないため、
私のデイリーシアはますます過敏になったと言える。
互いのどこがデイリーシアになりうるか、私にはそれが理解できる。
デイリーシアを知らない彼女にはそれが理解できない。
だからこそ、その大半はデイリーシアに含まれる。含まれうる。
大半が全てに変わるまでさほど時間はかからない。
時間の問題ですらない。
 
彼女はデイリーシアを知らないため、
私は逆にデイリーシアを教わっているのだとも言える。
彼女がデイリーシアであるならば、
私自身もまたデイリーシアとして存在している。
厳密にはそれは全てを含む。含めてよい。
おそらく、それは、全ての後に記されうる。
消失されうる全てのものの上に、それは花の名としてもよい。
(c) Mitsuhiko WAKAHARA