トップページ ≫ 寓話・散文 ≫ 砂漠の旅人
砂漠の旅人
 とある砂漠をある者が西へ西へと旅していた。旅人は十分な食料と水を持っていた。照りつける太陽は厳しいが、地平線は穏やかで、道中はなにごともなく安定しているように思われた。
 
 だが旅人が3日ほど進んだころ、とつぜん旅人の前に人影が現れた。
「やあ、私は東へむけての道中でして」
 相手は旅人の荷を眺めるなり、おずおずと申し出た。
「あなたは十分な水をお持ちのようだ。だが私はあいにくと少々手持ちが心細い。いやなに心配は無いのだが、多くて困るということも無い。どうだろう、あなたの水を譲っていただけまいか。相場の数倍の金をお支払いしよう」
 
 旅人はしばし悩んだが、多めに持って出てよかった、砂漠の只中でこんな楽な儲け話が転がりこむとは、と申し出を笑顔で受け入れた。
 
 2人は物品を交換し荷をくくりなおすと、互いの旅の無事を祈りながら気分よく別れた。
 
   *
 
 そして旅人が西へ向けまた3日ほど進んだころ、旅人の前にまた人影が現れた。
「ああ、天の助けだ」
 相手は旅人を見つけるなりすがりついてきた。
「もう3日も何も飲み食いしておらんのです。使用人が荷を持って逃げてしまって」
 見るなり、相手は高貴な身分の人物らしかった。旅人は考えた。自分ならまだ大丈夫だろう。だがこの人は瀕死に陥っている。
 
 旅人は相手に次の町までたどり着くのに十分な水と食事を分け与えた。
「あなたは命の恩人だ。このご恩は必ず報いましょう」
 相手は何度も礼をのべ、身に着けていた指輪や装飾を外し、旅人に差し出した。
「いつでも力になりましょう。なにかあったら私を思い出して下さい」
 
 起死回生に死地を脱したのと、思いがけない人脈を得たのと、2人は互いの出会いに感謝しその場を別れた。
 
   *
 
 そして旅人が西へ向けさらに3日ほど進んだころ、またしても人影が前に現れた。
「……」
 ものも言えぬほどやつれ果てた壮年の商人だった。
「……」
 旅人は商人に近寄りあれこれと語りかけたが、相手はぶるぶる震えるだけ、今にも果てそうだった。
 
 旅人は介抱をすべきだと思った。今この人を救えるのは自分しかいない。自分はちゃんと食べ飲んできたが、この人物は今にも死にそうだ。旅人はまたしても、自分の荷から水と食料を分け与えた。
「……」
 商人はあいかわらずただ震えるだけだった。旅人は行軍を止め、キャンプを張り商人に寝床を与えた。食料をすりつぶし口へと運び、荷から薬を煎じて与えもした。
 
 だが状態はいっこうに回復しなかった。数日後、商人は眠るように息を引き取った。旅人は激しく気落ちしながらも、商人をそこに埋葬し、相手の荷をもらい受けて旅を再開した。
 
   *
 
 そしてさらに旅人が西へ向け3日ほど進んだころ、はたしてまたも、人影が旅人の前に立ちはばかった。少ない食料でなんとかここまで来た旅人は、いくぶん痩せ、口数も減っていた。
 
 眼前の相手は旅人を見つけるなり、敵ではないと装具を解きながら近づいてきた。
「道中で迷ってしまいこの有様です。どうか道を教えて下さいませんか。そしてわずかでよいので水と食料を分けて頂けませんか」
 
 旅人は、じっと黙った。ここで自分のぶんを分けたら、自分は西の目的地へたどり着く前に死ぬだろう。
 
「お願いです、どうか……」
 眼光するどく睨みつける旅人に、相手は身を低くし何度も頭を下げた。旅人はしぶしぶ打ちあけた。
『私の食料は残り少ない。2人分はおろか1人分もない。道は教えてやれるが、食料は分けられない』
 相手の表情が絶望に変わった。
「え、では、ここから次の町まではどれ位ありますか? なんとかたどり着けそうな距離ですか?」
『いや、まだ遠い』
「そんな……」
 
 宣告を受け、さっきまで元気良く声をからしていた相手が急にぐったりとその場にへたりこんだ。旅人は気の毒に思いながらもつとめて事務的に道順を教え、早々にその場を去った。
 
 金持ちや貴族、そしてあの商人を見捨てていればあの人を助けられたのだろうか、と旅人は思った。しばらく離れたところでふと振り返ったが、相手はまだぐったりしゃがみ込んだままだった。
 
   *
 
 それからまた3日ほど過ぎた。水も食料も尽き、旅人は朦朧としながらただ足を進めていた。あともう少しで目的地に着く。それまでの辛抱だ、と自分を必死に鼓舞し続けていた。
 
 だが、気づいた時には旅人は砂上に伏していた。腕に力をいれ起き上がろうとしたが全身が痛み視界が霞んでうまくいかない。しかしこのまま寝ていても死ぬだけだ。旅人は気力をふりしぼって自分を立たせた。
 その時むこうから、人影が近付いてくるのが見えた。人影は旅人に話かけた。
「大丈夫ですか」
『た、助けてくれ』
 旅人は得体のしれぬ相手に自分の命を任せた。
 
 人影はしばらく旅人と旅人の荷を見くらべ、そして平然と言った。
「あなたを殺してあの荷だけ頂くのがもっとも賢明な行動でしょうね」
 確かにその通りだと旅人は思った。
「でもそんなことはしませんよ」
『ありがとう』
 
 相手の介抱を受け、水と食料を与えられ、旅人はなんとか気力を取り戻した。
『ありがとう、本当にありがとう』
「当然の事をしたまでですよ」
『謙遜などしなくていい』
 旅人は荷から金銭や指輪など、道中に得たものを抜き出し礼だと言って相手に差し出した。
 
「こんな高価なものを持っていたなんて。やはり殺してぜんぶ奪っておけば良かった」
 相手は冗談を言いながら、喜んで受け取ってくれた。ほどなく2人は別れの挨拶をかわし、それぞれの旅路に戻っていった。
 
   *
 
 ついに旅人が目的地に着いたとき、荷は当初よりやや軽く、心は深く複雑になっていた。
(c) Mitsuhiko WAKAHARA