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言葉づかいと無神経
 べつに毎日更新するとは決めてないんですけど……まあ、なんとなく続いていますね。ちょうどこれで三日目ですか。ということはあした更新しないと「最初の三日しか続かなかったな若原ァ! この三日坊主!」とか言われて坊主よばわりされる訳ですか。坊主よばわりも坊主夜這いも御免です。ボンズ四倍で反撃しますからそのつもりで。
 ……駄文はさておき(さては書くことがないのだな)。

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 言葉づかいについて話しましょうか。私は、ネット接続環境を得るまで、自分の言葉づかいを意識したことがありませんでした。同人誌というか、会員誌に参加して二ヶ月に一度くらいはエッセイみたいなものを書いていたにもかかわらず。好きなときにだけ(といいながら一日三度ぐらい)日記を書いていたにもかかわらず。あまり文調といったものに気を配っていませんでした。一応わかってはいましたが、ふつうに「ですます口調」で通してました。
 でもネットに接続して、そんな単純な事じゃなくなりました。ですます口調にも色々あって、それを使いこなさなきゃならない。顔文字とか。「(笑)」とか。「〜ね」と他人に言うでもなく自己完結するでもない「話を終わらせず広げもしない語尾」とか。「〜よ」なんて言い方も日常ではしませんし。……それらは必要に応じて、ネット用に体得してきた語調です。ある種のフィクションでもあります。
 ひとによって、この「語調・文調」の学習と開発、習得に大きな差があるんだな、って事を時々思います。たとえば広告メールのハイテンションな言葉づかいとか。礼儀正しすぎて怖い挨拶とか。簡潔でそっけない好意とか。わかりやすい説明をしてくれてるけど、なんだか迷惑がってるようなレスとか。ネットにはいろんな文調があって。
 ……自分のスタンス──批評とか交友とか礼儀とか──によってそれは変わりますが、それ以前に、自分がどういうテンションで生きてるか、どういう関係の中で言葉を使っているかによる所が大きいと感じています。自分を振り返ると「詩のサイトを作る前」「作ってから」「規模縮小してから」「リーディングの場に出てから」の各時期で言葉づかいが少しづつ違います。
 と。それ以上に。「読む」側としても変わりましたね。個人発行の日記的なメールマガジンを読むとなぜかムカムカしてきたんですけど。今は「ふうん、そうなのかー」って冷静に読めるようになりました。……心に余裕が持てるようになった訳ではなく、なんというか。神経質さが目減りしたんでしょうね。自分の言葉にも、他人の言葉にも。
 あまり深く考えず、自分の言葉を発し、ひとの言葉を受け取れるようになった、ってことです。無神経になりました、数年前よりだいぶ。……いいことなのか悪いことなのか、よくわからないけれど。

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 さて、今日の一枚です。
 東の空に入道雲が炸裂してました。地上も西も薄曇りでさほど明るくなかったのに、東の入道雲だけが西日で真っ白に輝いていました。……新潟では大雨らしいですね。ちょっとおっかない感じがしました。
2004-07-14
(c) Mitsuhiko WAKAHARA