鳥取駅の南口はバス停があるわけでも駐車場があるわけでもなく、広々とロータリーがあるだけだ。人が群れていても特に通行人の邪魔になるようなことはない。二十代〜三十代のグループが、鳥取駅の屋根が歩道に伸びた辺りで雨を避けていた。おそらくこれだろうと思って声をかけた。
若原です、と名乗ると五十代ぐらいに見える、眼鏡をかけ白い和風アロハを着た男性より名前を確認され挨拶を受けた。この方が寺西さんだった。詩誌の編集さんというのは議論好きで細目で痩身でカミソリのような人ではと勝手にビビッていたが、そんなことはなく温和で落ち着いた感じの人だった。
その場には十人程度の参加者がいて、駅前の雨模様を見ながら煙草をすったり雑談したり時を過ごしていた。私も荷物を置き、集合時間が過ぎるのを待った。2分ぐらいしてすぐ、長谷川さん、今井さんがいらした。二人も同じ「スーパーはくと」に乗っていたらしい。だったら鳥取に着いてからだいぶ時間があったでしょう、市内を観光されましたか。と聞くと、二人も集合時間を考えて遠くへは行かなかったという。喫茶店で雑談をしていたそうだ。そうか、私は一人だったから歩くはめになったんだ、複数人だったらどこででも雑談して時間を過ごせたんだなあ、と思った。
その後、ちらほらと人が集まりだした。佐々宝砂さんは午前中に「水木しげる」の町に行ってきたらしい。アーケードの薬屋に本屋にあちこちに妖怪の像があった、と目玉おやじのTシャツを着てニコニコしていた。八月にお会いした、れっつらさん、ちょりさん、東京の村田さんも来た。桑原さんも現れ、安田さんや寺西さん、そのほか知り合いの人と「元気にしてたかー」と笑っていた。
雨はますます強くなり、私が来たときは小降りだったのがすっかりまともな雨天になっていた。「いい天気ですね」というベタベタのボケを口にしたい欲求を我慢した。ぼんやり辺りを見ていると、濡れた駅前を、緑色の車掌服を着た男性が通り過ぎていった。しかしよく見るとそれは車掌服ではなく自衛隊の正装だった。自衛隊員さんは背広の男性を連れ、航空自衛隊のバスに乗って去った。鳥取空港は民間と自衛隊が共同使用していると聞いていた。その関係かもしれない。
*
しばらくして、今夜の宿「新生館」のマイクロバスが到着、頭にタオルを巻いた眉毛の太い青年(それがミキさんだった。実直で優しそうな人だった)に案内され搭乗。加久さんら数人は遅れるとのことで、今いる人数だけで新生館へ向かった。
車内でのことはあまりよく覚えていない。隣に座った女性と「いつごろから詩を書いているのか」「雨がやんだみたいだ」「あれは湾かな、湖かな」といった話をした記憶がある。くねくねと道を曲がり、30分ぐらいでバスは新生館に到着した。バスを降りると目の前の壁に木の板がかかっており、そこには川柳が書かれていた。なんだろうと思いながら進むと新生館の玄関にも同様の板があり川柳が書かれていた。
玄関を上がりロビー(隅に水槽がありナマズが飼われていた)で部屋割りを聞く。女性は三部屋ぐらいに分かれ、男性は「松竹の間」に十人ほど、桑原さん、クロラさん、自分が「梅の間」になった。桑原さんが「一人の部屋がいいな、って言ったもんだから小部屋になった」「巻き添えになって悪いな」と言った。別に構わないと言いつつ廊下を歩く。廊下は細く階段は急で、なかなか複雑な構造だった。多く部屋数を取りつつ景観や機能も確保しようとするとこういう設計になるのだろう。迷路みたいで面白い。
廊下の一番奥にあった梅の間は、四角いテーブルと100円1時間のテレビがある、こじんまりとした和室だった。荷物を置き、お茶を飲んで煙草を吸いながらクロラさん、桑原さんと雑談した。桑原さんが「食べるか?」と缶に入ったキットカットを差し出したのでひとつ貰った。駅の自販機で買ったらしい。桑原さんはクロラさんに私を「性格は嫌いだが詩が面白い」と紹介した。「あんたそんな風に思ってたのか!」とショックを受けたが冗談半分だろうと自己解決してみた。
しばらく休んでから、多少の手荷物だけ持って三階の宴会場に向かった。細い廊下を逆にたどり、隅の階段を上る。その踊り場の壁に、またも木の板があり川柳が書かれていた。そこらじゅうにあるらしい。いったい幾つあるんだろう。
*
料理は、なかなか多かった。長谷川さんたちと隣あいながら、少しづつ頂いた。刺身とか、イカにとろろがかかったものとか、春巻きの皮を皿にしたサラダとか。へえぇーと眺めながら箸を進めた。グラタン皿ぐらいの小さな鍋に茶碗蒸しが詰まっていたが、それはさすがに食べ切れなかった。
食事がひと段落したころ、カードとピカピカ棒(LEDがカラフルに点滅する棒状のパーティグッズ。夜の砂丘でビーコン代わりに首から下げる)が配られこの後の説明を聞いた。「最初はくじの色ごとのグループに分かれます」「くじにある番号順に詩を読みます」「詩を読んだらその人は詩を聞いた人たちのカードにサインします。そして別のグループへと旅立ちます」「グループのところにはそれぞれ色のついた光が出てます」「たくさんのサインを集めた人はあとで表彰されます」とのこと。いろんな人と会えるように、との配慮でそういう仕組みにしたそうだ。
みんな一枚づつくじをひき、最初のグループ分けが発表された。私は赤の6、桑原さんのグループになった。ピンクを引いた人は、ピンク色の照明が無かったのでオレンジ色の照明を持っているという、ちょりさんのところになった。他に、青、黄色、緑のグループがあり、それぞれの班長が挨拶した。
*
新生館の玄関に集合したときには、すっかり周囲は暗くなっていた。まだ6時台のはずだが、夏場とは違うのでもう夜中だ。二台のバスに分乗し、鳥取砂丘へと移動する。
途中の車内では近しい席のもの同士、雑談が始まった。私は隣の高橋さん(だったと思う。間違ってたらごめんなさい。眼鏡をかけた青年)と話した。「いつから詩を書いているのか」「砂丘に行ったことはあるか」といった所から話していると、前の方が何やら騒がしくなってきた。大きな声でタスケさんが話し、花本武さんがフムフムと聞き役をしている。「女なんてぇ幾らでも次へ進めばいんだヨォ」「俺たちには時間がないんだぁ」などという宣言が(ほんわかした声で)熱っぽく飛ぶ。そのたびに車内の男どもが「おおおおおー!」と歓声を上げた(このバスには女性は二人しかいなかった。二人の心中、察して余りある。さぞかし不安でござったろう)。
ちょい暴走ぎみに車内を沸かせるタスケさんもすごいが、それを「〜そうですよね」「やっぱり〜ですよね」「えっ、それはどういうことですか?」とコントロールしていく花本さんの落ち着きもすごかった。誰かが「これ録音しとけぇ!」と言ったが、私もそう思った。車内は二人のラジオ番組を聴いているみたいだった。
*
二台のバスは鳥取砂丘の入口、駐車場に付いた。駐車場は街灯が少なく、正面のレストハウスも明かりが消えて真っ暗だった。雲があり、空はまだらに群青色をしていた。トイレに行ったり、荷物から懐中電灯を出したり、ピカピカ棒をいじったりしているうちに遅れてきた人もやってきた(加久さんは仕事が長引いたらしい。千里さんは電車を乗り間違え一度岡山に戻ってしまったそうだ)。それではということで、駐車場の脇にあった階段を登る。この向こうに砂丘があるらしい。
*
階段を登りきったところで「すげえぇぇぇぇ!」と思わず口走った。鳥取砂丘は「ラージな砂浜みたいなもの」かと予想していたが全然違った。「ドラえもんの超科学を利用してゴビから砂漠を一区画そっくり持ってきました!」という感じ。見渡す限り一面が砂である。ついさっきまでアスファルトの駐車場に居たとは信じられない。どこでもドアでもくぐって来たか、神隠しにでもあったかという風景だ。視界には砂山と空しかない。
砂丘は「丘」と呼ぶにふさわしく、砂が堆積し傾斜を作っていた。アップダウンは激しく、遠目にはなだらかなのだが立ち入ってみると、低いところでは砂に取り囲まれるし、山に立つと砂地を見下ろす格好になる。いずれにしてもとにかく砂、砂、砂だ。砂しかない。標識も看板も自販機も交差点もなんにもない。どんな乗り物も使えないし誰も居ない。
まずは、この階段から正面に見える一番遠くて高い砂山に集合だという。砂の坂をざっくざっくと降りていく。なにしろ砂なので足に低反発があり、靴底が少し埋まる。地上のようなグリップは得られず、踏み込んでも踏み込んでも足がもたつく。一歩の歩幅が〇・八歩ぐらいになってしまう。傾斜もきつい。下りは「どうせ転んでも砂だし痛くないやあー」と気楽に駆け降りられるが、登りは「これはコケたらゴロゴロとどこまでも転がっていってしまうぞ」と不安で前傾姿勢になる。でも砂しかないから掴まる物も休むところもない。とてつもないところだ。ディズニーランドやハウステンボスなら人工で作れるだろうが、こんな突拍子もないスポットは誰にも作れない。ひたすら砂だ。
どうにかこうにか丘(というよりほとんど山だ)の頂上に立つと、向こう側には夜の海が広がっていた。暗くて、空との色の差で海だと分かるだけだが、やっぱり気分はいい。ふと「太陽のしっぽ」というゲームを思い出した。原始人を操作してダチョウやマンモスも狩るアクションゲームだ。あのゲームでもよく「山を登ると急斜面でいきなり海」だった。なんだかあの原始人になった気分だ。世界につきはなされている。
こりゃまたすんげえ所だな、と感無量で辺りを見回す。上空を飛行機がやたら低く飛んでいった(空港が近いのだろう)。海には、転々と照明が並んでいる。海上に橋でもあるのかと思い、あれは何ですかと取材に来ていた新聞社の女性カメラマンに訊ねた。イカ釣り漁船の光(ブイか何か)だと言う。なんだかそう言われてもぴんと来ない。夜の鳥取砂丘はシュールで非現実的で圧倒的だった。
若原です、と名乗ると五十代ぐらいに見える、眼鏡をかけ白い和風アロハを着た男性より名前を確認され挨拶を受けた。この方が寺西さんだった。詩誌の編集さんというのは議論好きで細目で痩身でカミソリのような人ではと勝手にビビッていたが、そんなことはなく温和で落ち着いた感じの人だった。
その場には十人程度の参加者がいて、駅前の雨模様を見ながら煙草をすったり雑談したり時を過ごしていた。私も荷物を置き、集合時間が過ぎるのを待った。2分ぐらいしてすぐ、長谷川さん、今井さんがいらした。二人も同じ「スーパーはくと」に乗っていたらしい。だったら鳥取に着いてからだいぶ時間があったでしょう、市内を観光されましたか。と聞くと、二人も集合時間を考えて遠くへは行かなかったという。喫茶店で雑談をしていたそうだ。そうか、私は一人だったから歩くはめになったんだ、複数人だったらどこででも雑談して時間を過ごせたんだなあ、と思った。
その後、ちらほらと人が集まりだした。佐々宝砂さんは午前中に「水木しげる」の町に行ってきたらしい。アーケードの薬屋に本屋にあちこちに妖怪の像があった、と目玉おやじのTシャツを着てニコニコしていた。八月にお会いした、れっつらさん、ちょりさん、東京の村田さんも来た。桑原さんも現れ、安田さんや寺西さん、そのほか知り合いの人と「元気にしてたかー」と笑っていた。
雨はますます強くなり、私が来たときは小降りだったのがすっかりまともな雨天になっていた。「いい天気ですね」というベタベタのボケを口にしたい欲求を我慢した。ぼんやり辺りを見ていると、濡れた駅前を、緑色の車掌服を着た男性が通り過ぎていった。しかしよく見るとそれは車掌服ではなく自衛隊の正装だった。自衛隊員さんは背広の男性を連れ、航空自衛隊のバスに乗って去った。鳥取空港は民間と自衛隊が共同使用していると聞いていた。その関係かもしれない。
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しばらくして、今夜の宿「新生館」のマイクロバスが到着、頭にタオルを巻いた眉毛の太い青年(それがミキさんだった。実直で優しそうな人だった)に案内され搭乗。加久さんら数人は遅れるとのことで、今いる人数だけで新生館へ向かった。
車内でのことはあまりよく覚えていない。隣に座った女性と「いつごろから詩を書いているのか」「雨がやんだみたいだ」「あれは湾かな、湖かな」といった話をした記憶がある。くねくねと道を曲がり、30分ぐらいでバスは新生館に到着した。バスを降りると目の前の壁に木の板がかかっており、そこには川柳が書かれていた。なんだろうと思いながら進むと新生館の玄関にも同様の板があり川柳が書かれていた。
玄関を上がりロビー(隅に水槽がありナマズが飼われていた)で部屋割りを聞く。女性は三部屋ぐらいに分かれ、男性は「松竹の間」に十人ほど、桑原さん、クロラさん、自分が「梅の間」になった。桑原さんが「一人の部屋がいいな、って言ったもんだから小部屋になった」「巻き添えになって悪いな」と言った。別に構わないと言いつつ廊下を歩く。廊下は細く階段は急で、なかなか複雑な構造だった。多く部屋数を取りつつ景観や機能も確保しようとするとこういう設計になるのだろう。迷路みたいで面白い。
廊下の一番奥にあった梅の間は、四角いテーブルと100円1時間のテレビがある、こじんまりとした和室だった。荷物を置き、お茶を飲んで煙草を吸いながらクロラさん、桑原さんと雑談した。桑原さんが「食べるか?」と缶に入ったキットカットを差し出したのでひとつ貰った。駅の自販機で買ったらしい。桑原さんはクロラさんに私を「性格は嫌いだが詩が面白い」と紹介した。「あんたそんな風に思ってたのか!」とショックを受けたが冗談半分だろうと自己解決してみた。
しばらく休んでから、多少の手荷物だけ持って三階の宴会場に向かった。細い廊下を逆にたどり、隅の階段を上る。その踊り場の壁に、またも木の板があり川柳が書かれていた。そこらじゅうにあるらしい。いったい幾つあるんだろう。
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料理は、なかなか多かった。長谷川さんたちと隣あいながら、少しづつ頂いた。刺身とか、イカにとろろがかかったものとか、春巻きの皮を皿にしたサラダとか。へえぇーと眺めながら箸を進めた。グラタン皿ぐらいの小さな鍋に茶碗蒸しが詰まっていたが、それはさすがに食べ切れなかった。
食事がひと段落したころ、カードとピカピカ棒(LEDがカラフルに点滅する棒状のパーティグッズ。夜の砂丘でビーコン代わりに首から下げる)が配られこの後の説明を聞いた。「最初はくじの色ごとのグループに分かれます」「くじにある番号順に詩を読みます」「詩を読んだらその人は詩を聞いた人たちのカードにサインします。そして別のグループへと旅立ちます」「グループのところにはそれぞれ色のついた光が出てます」「たくさんのサインを集めた人はあとで表彰されます」とのこと。いろんな人と会えるように、との配慮でそういう仕組みにしたそうだ。
みんな一枚づつくじをひき、最初のグループ分けが発表された。私は赤の6、桑原さんのグループになった。ピンクを引いた人は、ピンク色の照明が無かったのでオレンジ色の照明を持っているという、ちょりさんのところになった。他に、青、黄色、緑のグループがあり、それぞれの班長が挨拶した。
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新生館の玄関に集合したときには、すっかり周囲は暗くなっていた。まだ6時台のはずだが、夏場とは違うのでもう夜中だ。二台のバスに分乗し、鳥取砂丘へと移動する。
途中の車内では近しい席のもの同士、雑談が始まった。私は隣の高橋さん(だったと思う。間違ってたらごめんなさい。眼鏡をかけた青年)と話した。「いつから詩を書いているのか」「砂丘に行ったことはあるか」といった所から話していると、前の方が何やら騒がしくなってきた。大きな声でタスケさんが話し、花本武さんがフムフムと聞き役をしている。「女なんてぇ幾らでも次へ進めばいんだヨォ」「俺たちには時間がないんだぁ」などという宣言が(ほんわかした声で)熱っぽく飛ぶ。そのたびに車内の男どもが「おおおおおー!」と歓声を上げた(このバスには女性は二人しかいなかった。二人の心中、察して余りある。さぞかし不安でござったろう)。
ちょい暴走ぎみに車内を沸かせるタスケさんもすごいが、それを「〜そうですよね」「やっぱり〜ですよね」「えっ、それはどういうことですか?」とコントロールしていく花本さんの落ち着きもすごかった。誰かが「これ録音しとけぇ!」と言ったが、私もそう思った。車内は二人のラジオ番組を聴いているみたいだった。
*
二台のバスは鳥取砂丘の入口、駐車場に付いた。駐車場は街灯が少なく、正面のレストハウスも明かりが消えて真っ暗だった。雲があり、空はまだらに群青色をしていた。トイレに行ったり、荷物から懐中電灯を出したり、ピカピカ棒をいじったりしているうちに遅れてきた人もやってきた(加久さんは仕事が長引いたらしい。千里さんは電車を乗り間違え一度岡山に戻ってしまったそうだ)。それではということで、駐車場の脇にあった階段を登る。この向こうに砂丘があるらしい。
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階段を登りきったところで「すげえぇぇぇぇ!」と思わず口走った。鳥取砂丘は「ラージな砂浜みたいなもの」かと予想していたが全然違った。「ドラえもんの超科学を利用してゴビから砂漠を一区画そっくり持ってきました!」という感じ。見渡す限り一面が砂である。ついさっきまでアスファルトの駐車場に居たとは信じられない。どこでもドアでもくぐって来たか、神隠しにでもあったかという風景だ。視界には砂山と空しかない。
砂丘は「丘」と呼ぶにふさわしく、砂が堆積し傾斜を作っていた。アップダウンは激しく、遠目にはなだらかなのだが立ち入ってみると、低いところでは砂に取り囲まれるし、山に立つと砂地を見下ろす格好になる。いずれにしてもとにかく砂、砂、砂だ。砂しかない。標識も看板も自販機も交差点もなんにもない。どんな乗り物も使えないし誰も居ない。
まずは、この階段から正面に見える一番遠くて高い砂山に集合だという。砂の坂をざっくざっくと降りていく。なにしろ砂なので足に低反発があり、靴底が少し埋まる。地上のようなグリップは得られず、踏み込んでも踏み込んでも足がもたつく。一歩の歩幅が〇・八歩ぐらいになってしまう。傾斜もきつい。下りは「どうせ転んでも砂だし痛くないやあー」と気楽に駆け降りられるが、登りは「これはコケたらゴロゴロとどこまでも転がっていってしまうぞ」と不安で前傾姿勢になる。でも砂しかないから掴まる物も休むところもない。とてつもないところだ。ディズニーランドやハウステンボスなら人工で作れるだろうが、こんな突拍子もないスポットは誰にも作れない。ひたすら砂だ。
どうにかこうにか丘(というよりほとんど山だ)の頂上に立つと、向こう側には夜の海が広がっていた。暗くて、空との色の差で海だと分かるだけだが、やっぱり気分はいい。ふと「太陽のしっぽ」というゲームを思い出した。原始人を操作してダチョウやマンモスも狩るアクションゲームだ。あのゲームでもよく「山を登ると急斜面でいきなり海」だった。なんだかあの原始人になった気分だ。世界につきはなされている。
こりゃまたすんげえ所だな、と感無量で辺りを見回す。上空を飛行機がやたら低く飛んでいった(空港が近いのだろう)。海には、転々と照明が並んでいる。海上に橋でもあるのかと思い、あれは何ですかと取材に来ていた新聞社の女性カメラマンに訊ねた。イカ釣り漁船の光(ブイか何か)だと言う。なんだかそう言われてもぴんと来ない。夜の鳥取砂丘はシュールで非現実的で圧倒的だった。
2004-09-29