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夜間飛行
空のパスポートを購入した。
これで空中散歩が楽しめる。
またこのパスポートにはたくさんの特典がついている。
緊急無線や、
ガイドブック、
トラベラーズチェック。
そして。
 
   *
 
自家用飛行機。
その言葉に惹かれないわけがない。
自家用飛行機。
ある種のステイタス。
「せっかく持てるのならば持ってみよう」と
ひかえめに態度を取ったけれど。
頭ではもうすでに
「どんな色に塗ろうか」「どんな名前をつけようか」
そんなことを考えて浮かれていた。
 
   *
 
飛行機を持つのは別に難しくない。
英語ができなきゃだめ、なんてことも今ではもうない。
かんたんな書類に記入するだけで飛行機のセットを
作ってくれるサービスもある。
飛行機を持つこと自体は難しくない。
 
私は、やや古い基礎理論を勉強して、愛機を手製することにした。
ガレージに工作機械や溶接器具などを運びこみ、毎晩コツコツ作業をした。
図面を引き。材料をそろえ。切り出し、削り、
サイズ誤差を〇.五ミリまで合わせ、
傷つけないようにはめ込み、組み合わせ、確認し。微調整をくり返し。
睡眠も忘れて熱中した。プラモデルでも作っている気分だった。
 
完成した私の飛行機は、
最新の電子機器なんて付いていなかった。
計器から骨組みまで油まみれ、削ったばかりの木の匂いもした。
旧式で古臭い、プロペラの単葉機だった。
ところどころに無駄があり、また自分にあわせた
特殊な仕組みも多く抱え込んでいた。
世界に2つとないポンコツ。
だが全体としては小型で操作性もよく、シンプルな飛行機になった。
 
   *
 
誰も誘わず、日曜日。ひとりで離陸式をした。
プロペラの回転をあげ、まっすぐ加速。
大地からホワッと車輪が浮き、背中を押される気がする。
そのままの仰角でそろそろと飛び立つ。
地面が一メートル、一.五メートル、二メートルと遠くなり、
ああいまエンジンが止まったら死ぬ。とよぎったけれど。
それならそれもいいだろうとなぜか思った。
 
   *
 
そして空には、私のほかにもいろんな飛行機が飛んでいる。
 
低空飛行を続けている者もいるし、
高高度を爆音とどろかせて飛んでいく者もいる。
空路を進む者もいるし、
無計画に飛んでいく者もいる。
定期便も運行されていれば、
一撃離脱を披露してくる者もいる。
編隊を組んだ戦闘機もいるし、
まれにUFOみたいなものを見ることもある。
 
空はとても自由だ。ここには束縛するものがない。
区画もなければ信号もない。
季節も、天候でさえもどこへなりと選べてしまう。
とても自由だ。
 
ただし、いちど大地を離れたら
そのまま飛び続けなければならない。
高度を変えたり目的地を変えたりはできるが
飛ぶのを辞めることはできない。
 
いよいよとなれば、
探さないでください、とでも都合のいいことを言って
ぷいっと消失してしまうことも出来なくはない。
 
でもそれは
ぬいぐるみを粗大ゴミに出すような罪悪感が伴う。
 
だから出来ない。
飛び続けなければならない。
 
   *
 
空ではいろんなことがある。
 
顔なじみの飛行士とあいさつを交わすこともある。
近付きすぎて接触事故を起こすことも。
ジャンク部品を交換しあったりもする。
互いの愛機を褒めあったりもする。
 
しがらみがこじれて空域を去らねばならないこともある。
新しい地平を目指して地図が間違いだったり、
誘いにのって迷い込まされたり、
最終的にひとりだという事に気づいてしまったりもする。
 
誰かのまいたビラが視界をさえぎることも。
いきなり名乗られて空中戦を挑まれることも。
天空の城の噂も流れた。
雷に撃たれて死ぬこともある。
ブラックボックスは拾われない。
 
いろんなことがあるけれど、
空そのものはいつも静かで美しく、雲のかたちは面白く、
風は冷たくすがすがしく、
夕方には天国のような染めあげ、
新月の夜は濡れるような深み、
虹を横たえたような朝焼け、
越冬のために渡りゆく鳥たち。
 
コクピットのステレオからは好きな曲、
気まぐれにきめてみるバレルロール、
飛行機雲で書いてみるピースマーク、
スナップを効かせて投げ捨てる林檎の芯。
 
歯型の付いた誰かの言葉、
天使がまき散らす翼の小骨、
山彦になれなかった叫び、
銀河までいきます列車。
 
パリとは限らない地上の夜景、
そのひとつひとつに誰かの顔、
知っている人の名前と声、
いつか知ることになる名前と声。
 
   *
 
空には、ひとつも本物などなかった。
ただそう思える自分が本物なのだと気づくまでに
ずいぶんとかかった。
 
   *
 
空はせまい。
そして自由だ。
 
私はまだ飛べる。
 
   *
 
上でまた会おう。
(c) Mitsuhiko WAKAHARA